▼新規事業に挑め─日の丸企業戦士

必死だったトヨタ,必死だったメーカー---ビッグスリーの影
 昭和40年代(1965〜1974年)に入ると,トヨタ自動車は特に危機感を強めた。巨大企業となり,世界市場に打って出た米ビッグスリーが,日本市場も虎視眈々と狙い始めたからだ。当時のトヨタ自動車にはビッグスリーに太刀打ちできる力などなかった。そのため,ビッグスリーにつぶされまいと,米国の先端技術に追い付こうと必死で,実に貪欲に技術の改善に取り組んでいたのだ。
 機械を買ってもらって喜んだのも束の間,我々はトヨタ自動車から毎年,改善した仕様の機械を要求された。その要求を満足しなければ,当然,我々も注文はもらえない。我々も必死になった。(藤野清=藤野技術コンサルタント,元宇部興産専務)
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090212/165527/