アップルにあって、三洋電機に無いもの

━■水野博泰の「話題潜行」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  アップルにあって、三洋電機に無いもの
  (8月8日発行のExpress Mailより)
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  照明が暗くなったと思ったら、下手から一人の男がすっと舞台に現れた。米ア
ップルコンピュータのスティーブ・ジョブズCEO(最高経営責任者)である。

ジョブズ氏と会場が作り出した奇妙な一体感

  会場で隣り合わせた男が、いきなり、「わおー」「ひゅーひゅー」と大声で叫
び始めて、「な、なんだ?!」と、ちょっとびっくり。半端ではない渾身の力と、
おそらく一種の「愛」を込めた拍手喝采が、キンキンと耳に響く。会場は、そんな
お洒落でセンスとノリの良い観客でいっぱい――。

  4日午前、アップルは有料音楽配信サービス「iTunes Music Store」を日本で
開始すると発表した。東京国際フォーラム(東京・有楽町)の中でも約5000人を収
容できる巨大ホールにマスコミや業界関係者が招かれ、筆者もその中にいた。

  いつものことではありながら、アップルが開催する会見と言うかイベントは、
独特と言うか、一般的な企業の記者会見ではあり得ないという意味で、異様な雰囲
気に包まれていて、何度行っても面食らってしまうと言うか馴染めない。筆者のセ
ンスとノリの悪さの証しか…。

  ほんの数日前に送られてきた招待状には「夏のスペシャル・イベント」としか
書かれていなかったが、iTunes Music Storeを日本で始めるのだろうということ、
そして、カリスマ経営者として名高いジョブズ氏が来日会見するであろうことは、
言わなくたって誰にも分かっていた。

ジョブズ氏:「私は日本を愛している」

会場:「わおー」「ひゅーひゅー」「ぱちぱち」

ジョブズ氏:「iPodを持っている人は?」

会場:(さっと、多くの手が上がる)

ジョブズ氏:「うむ、まだまだ売れるな」

会場:(爆笑)

ジョブズ氏:「iTunes Music Storeを19カ国で提供してきた」

会場:(沈黙)

ジョブズ氏:「20番目は…日本だ!」

会場:「わおー」「ひゅーひゅー」「ぱちぱち」

ジョブズ氏:「価格は1曲200円」

会場:「ああぁぁ〜」(米国での99セントに比べて高いので、残念そうに)

ジョブズ氏:「それは全体の10%の話。90%の曲は150円で提供する」

会場:「わおー」「ひゅーひゅー」「ぱちぱち」

▼羨望? それとも嫉妬?

  なんだか、安手の通販番組の掛け合いを観ているような気になってくる。だが、
その場の空気は、もちろん演出によって作られたものではない。

  「あれは“アップル教”だよ」というのはよく耳にするくくり方だが、おそら
く教祖様と信者というほど単純な主従関係、閉塞的な関係でもない。だから、門外
漢にとって違和感はあっても強烈な嫌悪感みたいなものはない。

  いや、むしろ、この感覚は「羨望」とか、下手をすると「嫉妬」に近いのでは
ないか――。日本のデジタル家電メーカーの側に同化して、そちらの視点で見たら、
そんな感じがした。

  他のどんな記者会見やイベントでも感じることのない、「売る側」と「買う側」
の一体感。売る側は客に媚びを売りすり寄っているわけではない。買う側は、ポイ
ントカードなどで縛りつけられているわけでもない。

  この会社、このブランドの製品が格好いい、それがライフスタイルやポリシー
にぴったり合う、だから所有したい。それを所有する自分自身がイケている、とい
う信念みたいなものがある。もちろん、売る側によってマーケティング戦略やブラ
ンド戦略はじっくり練られているにせよ、ここまで絶妙なロイヤリティを獲得した
例を他に知らない。

  歓声と拍手の真っ只中で思い出していたのは、三洋電機野中ともよ会長兼C
EOにインタビューした時のこと。野中さんは、こう言った。

  「三洋(の業績)がどうしてこんなみっともない数字になったのかと言ったら、
お客様がいなくなってしまったからです。全国の工場や拠点を回ると、社員でさ
え欲しい商品がないと言うんです」

▼売る側と買う側に広がった途方もない距離感

  作る側・売る側と買う側に、いつの間にか広がってしまった途方もない距離感。
それをいっこうに縮められないことが、三洋を始めとする日の丸家電、日の丸電
機の共通した悩みである。

  価格を下げたり、性能を上げたり、デザインを変えたり、懸命に努力しても状
況に変化なし。トップの首をすげ替え、組織を変え、不採算事業を切り捨て、人員
を削減すれば、多少、数字は改善するかもしれない。けれども、それによって顧客
からの「わおー」という歓声を引き出すことはできない。

  野中氏が示した「Think GAIA」というビジョンや経営手腕に対しては、マスコ
ミやアナリストからだけでなく三洋の内部からも厳しい声が上がっている。確かに、
その手腕はまだ未知数の部分が多い。

  だが、地球とか生命とか、そのぐらい大きな風呂敷を広げなければ、何一つ変
えることができないのかもしれない。野中氏は凄まじく高いハードルを越えようと
しているのではないか。アップルとそのファンたちが作り出した喧騒の空間に身を
置きながら、場違いに冷静な思いを巡らせていた。

  ジョブズ氏が、フジロックフェスティバルに登場したベックをゲストとして紹
介すると、隣のお兄さんがひときわ大きな声で「わおー」「ひゅーひゅー」、そし
て「ばちばち」。その姿が、会見が始まった時とはなんだか違って見えた。

(水野 博泰)